鎌原観音堂

 猛暑が途切れ昨夜から雨が降りました。今週は雨の日が多い予報です。嬬恋村地域交流センターでウチョウラン展を観たあとはすぐ南側にある鎌原観音堂と嬬恋郷土資料館を見学しました。見学は2018年7月以来です。今回は延命寺跡の見学は省略しました。

「鎌原観音堂入り口」、観音堂の本尊は十一面観音菩薩です。
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「石段」、現在は15段ほどしかありません。120~150段あったと言われていましたが発掘調査の結果50段だったことが分かりました。橋の下にも一部石段があります。この辺りで堆積した土砂は5mに達します。
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「天明三年浅間やけ遺跡」、三十三回忌供養碑
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「復元民家」
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「水子地蔵」、標識は水子地蔵と読めます。左の文字は水、次は子、一番右の文字は梵字で「カ」すなわち地蔵菩薩です。
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「鎌原観音堂」、創建は大同元年(806)と伝えられています。天明3年8月5日の浅間山の大噴火の時に戸数118戸、人口570人中観音堂の石段を駆け上がった者とたまたま村外にいた93名だけだ生き残りました。
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「石仏群」
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「二百年供養聖観音」、毎年、8月5日に境内に置いて浅間山噴火大和讃が唱えられます。
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「ホタルブクロ」、境内に咲いていたものです。
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「かやぶき屋根」
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「嬬恋郷土資料館」、鎌原観音堂に隣接しています。浅間山大噴火の資料がたくさん展示されていますが館内は撮影禁止です。観覧料は300円です。延命寺の発掘品も展示されています。DVDも上映されています。
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「嬬恋村地域交流センター」、ウチョウラン展が開かれていたところです。
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「3階からの風景」、浅間山と黒斑山が見えます。
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 天明三年の被害は鎌原村全戸118戸、死馬165頭、死者477人でした。この大災害から鎌原村がいかに復興したかが興味あります。近隣の有力百姓、大笹村の名主黒岩長左衛門、千俣村の千川小兵衛、大戸村の加部安佐衛門が援助しました。村に2棟の小屋を建て村の再興を図りました。3人は夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせ93人を一族として纏め直しました。また新しい土地を平等に与え近隣の村人も農機具などを提供して復興を援助したと言われます。幕府も即座に食料代を与え、工事費を幕府が負担する御救普請を開始しました。幕府は金850両を負担しました。

 この時発生した土石流は吾妻川から利根川に流れ込み銚子まで一部は東京湾にも到達して河川流域の災害による死者1624人、流失家屋1151戸に及びました。

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この記事へのコメント

信徳
2022年07月04日 06:27
浅間山の小噴火でも前橋の方まで火山灰が降るのですから大爆発の
この地には凄いものが有ったと思います。
その時の史跡、記録が見れるのですね。
2022年07月04日 08:07
信徳さん、浅間山が大噴火を起こしたのは天明3年(1783)7月8日(旧暦)のことです。火砕流の直接被害だけでなく成層圏まで打ち上げられた火山灰は地球を1周して空を覆い日照量の低下を招き農作物が大不作になりその後の天明の大飢饉を引き起こしました。大飢饉はおよそ6年間に及び人口減少を招きました。日本近世最大の飢饉となりました。
2022年07月04日 08:16
おはようございます
火山国
地熱を火力に
利用出来ればいいですが
他国は活用してるようですが
2022年07月04日 09:06
すーちんさん、おはようございます
日本は火山列島ですね。地熱発電はごく一部で行われています。利用できない理由は適している場所がほとんど国立公園で開発工事は出来ないからです。
2022年07月04日 14:38
浅間山の噴火による火砕流がこの辺りも襲ったようですね。その際、村人が逃げて助かったのが、小高い所にあったこの観音堂ですか。
当時は田沼意次が勢力を振るった時期ですが、噴火に続く大飢饉もあって失脚したんでしたね。
2022年07月04日 16:38
長さん、今のような情報社会ではありませんでしたから事前に避難することは出来ず不意を突かれて逃げる間もなかったようです。石段を発掘した時に石段の下で年寄りを背負った若い女性の遺骨が見つかりました。石段を前に力尽きてしまったようです。
 田沼意次時代は「商業的農業の公認による年貢増徴策」により新田開発が盛んでした。当時は未だ低温に強いコメは開発されていませんでした。それなのに東北地方までも米作りが推し進められたのです。そのため冷害による凶作が相次ぎました。弘前藩、盛岡藩、八戸藩、仙台藩などが飢饉が発生して多くの人命が失われました。名君の居た上杉鷹山の米沢藩、松平定信の白河藩ではほとんど飢餓は無かったと言われています。定信はその手腕が買われ、後に幕府の老中に任ぜられました。
下町のスーさん
2022年07月04日 20:07
今日は雨が少し降ったので夕方から涼しくなりました。
近くの白河町の霊巌寺に松平定信候の立派な墓があります。以前は普通の下町でしたが今、若者に人気の街になっています。
だいぶ前、浅間山の噴火の灰がこちらにも降って来たことを思い出しました。
2022年07月04日 22:20
下町のスーさん、雨が降ると言うので期待したのですがほとんど雨は降りません。今後に期待しています。
松平定信は陸奥国白河藩の第3代藩主ですが8代将軍・徳川吉宗の孫です。聡明な藩主で後に老中として寛政の改革を行いました。
白河町の霊巌寺に松平定信候の立派な墓があるのは知りませんでした。
今でも時々浅間山は上空高く噴煙を上げることがあります。