多胡碑と大宮神社
昨日は朝から1日中快晴で午後には風も止み穏やかな日でした。今日は節分です。辛科神社を見学した後は多胡碑に移動しました。ところが記念館は工事中で2階の1部だけが見学可能になっていました。そのため近くの大宮神社も参拝してきました。また多胡碑記念館の近くにある2つの移築された古墳も紹介します。
「多胡碑覆堂」、所在地は高崎市吉井町大字池字御門、御門という地名は多胡郡の政庁があったことを示しています。
「多胡碑」、多胡郡建郡の記念碑です。「続日本紀」和同四年三月辛亥(六日)の記事に「割上野国甘楽郡織裳・韓級・矢田・大家・緑野郡武美・片岡郡山等六郷、別置多胡郡」とあります。
「拓本」
「歌碑1」、陸奥按察使 前中納言・姉小路有長 玉がしは書きのこしたるかみつけに うづもれぬ名ぞいまもかゞやく 安政三年正月
「歌碑2」、初代群馬県令 楫取素彦 深草の売られるうちに埋もれし石文の 世にめづらるゝ時はきに来にけり
「歌碑3」、郷土の歌人お 藤原寛一 万代もいかでつきせじ名にしあふ ほまれぞのこる多胡の碑
「多胡碑記の碑」、文学博士男爵細川潤次郎 明治十二年冬に上野三碑を巡覧した際の考証と現状が記されています。書は日本随一と言われた書家の日下部鳴鶴です。
「多胡碑記念館」、平成29年(2017)10月31日、上野三碑はユネスコ「世界の記憶」に登録されました。南350mの地点に多胡郡正倉跡があり国の指定史跡です。正倉の中で格の高い法倉も見つかっています。
「入り口」
「上野三碑」、レプリカ、左から山の上碑、多胡碑、金井沢碑です。これまでも何回かブログ紹介しています。
「宇治橋断碑・仏足石・仏足石歌碑」、宇治橋断碑は、宇治橋架橋の由来を刻す石碑の首部三分の一で、1791年(寛政3年)の春に橋寺放生院の境内で発見されたものです。仏足石歌は奈良県奈良市の薬師寺に伝わる奈良時代の歌碑、770年(宝亀元年)ごろと見なされています。
「多賀城碑・那須国造碑」、多賀城碑は、 宮城県 多賀城市 大字市川にある 奈良時代 の石碑、那須国造碑は栃木県 大田原市に西暦700年頃に、那須国造であった那須直韋提の遺徳をたたえるため、その息子と思われる意斯麻呂らによって建立されものです。多賀城碑・那須国造碑・多胡碑を日本三古碑と言います。
「書道展」、第24回多胡碑記念館吉井こども書道展、小学5・6年生と中学生です。
「上位入賞作品」、給羊賞1点、穂積賞9点です。
「多胡碑」、レプリカ
「南高原1号墳」、多胡村115号墳、新保259,260、261から移築したものです。径17mの円墳、横穴式石室
「石室」、長さ8m、7世紀
「片山1号墳」、吉井町65号墳、径32.6m、粘土槨が発見されました。4~5世紀
「大宮神社」、熊野神社、若宮社、絹笠神社、諏訪神社、八坂神社、石神社などを合祀して大正八年鎮座地の地名をとり大宮神社としたものです。
「拝殿」、大宮とは天皇の御座所を示す地名です。多胡碑のある御門という地名と共に政庁の存在を示すものです。
「本殿」
「境内社」
「双体道祖神」、神社の入り口にあります。
「参考資料」、多胡碑に関する手持ちの資料です。他にも数冊あります。
多胡碑(711)は山上碑(681)、金井沢碑(726)と共に上野三碑と呼ばれ2017年10月31日に ユネスコは「世界の記憶」に登録されました。
多胡碑については現役時代にまとめたことがあるのですが上野三碑についても書いてみたいと思ったのですが考えがまとまりません。
今回のブログもまとまりの付かないものになってしまいました。
この記事へのコメント
立派な箱に入れられて名所になりました。
一度公園を訪問した事が有ります。案内人がいました。
この日は碑を訪れていたのは私一人でした。毎年3月の初めに扉を開けて公開されますのでその日は賑やかです。
拓本で思い出しましたが、江戸川近くに古い石碑があるのですが、その表面がやけに黒いのです。拓本の取り方を知らない人がたっぷり墨汁を使ったようです。
拓本は碑に直接、墨を塗るのではなく水をかけて紙を張りタンポで表面をたたいてからさらに墨をつけたタンポで上からたたいて取ります。碑面が汚れることはありません。