田島弥平旧宅

 昨日、病院に出かけたついでに伊勢崎市にある田島弥平旧宅を尋ねてみました。ここは世界文化遺産の富岡製糸場と絹産業遺産群の一つです。これまで富岡製糸場には4回、高山社跡には3回、荒船風穴には1回訪れていました。田島弥平旧宅は初めてです。


「田島弥平旧宅」、世界遺産・国指定史跡、屋号は「遠山近水邨舎」のちに「桑柘園」、1階を住居、2階を開放的な蚕室、瓦葺の屋根に櫓と呼ぶ換気用の窓を設けたもので養蚕農家の原形です。

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「田島弥平旧宅標識」

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「東門」

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「井戸」、洪水から井戸を守るために基礎を高くしてあります。

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「桑場」、蚕の餌の桑の葉を保管したり刻んだところです。

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「菊」、わずかですがキクが展示されていました。

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「桑麻館」、田島武平旧宅、文久3年(1863)築、木造2階建入母屋造桟瓦葺、桁行11.5間、梁間5.5間

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「進成館」、田島乙三郎旧宅、幕末頃の築、木造2階建入母屋造桟瓦葺、桁行13間、梁間5間

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「栄盛館」、田島定吉旧宅、文久元年(1861)頃築、木造2階建切妻造桟瓦葺、桁行9.5間、梁間5間

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「有隣館」、田島平内旧宅、明治元年(1868)築、木造2階建切妻造桟瓦葺、桁行12.5間、梁間5.5間

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「對青盧」、田島林平旧宅、慶應2年(1866)築、木造2階建切妻造桟瓦葺、桁行9間、梁間5間

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「金井烏洲顕彰碑」、金井烏洲は島村の出身で江戸時代後期の画家、勤皇家です。

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「金井烏洲と一族の墓」、四男に書家で、大久保利通の側近で元老院議官・貴族院議員としても活躍した金井之恭がいます。

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「田島家の墓」

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「島村蚕種業碑」

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「島村沿革碑」

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「利根川」

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「昔の島村の地図」、昔の島村は利根川の中州に有ったことが分かります。

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「田島弥平旧宅案内所」、旧境島小学校です。

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「下賜品1」、明治4年、宮中養蚕の相談役だった渋沢栄一はその世話役に田島弥平を推薦しました。

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「下賜品2」、代々田島家は世話役を勤めました。

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「下賜品3」

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「養蚕新論」、田島弥平が養蚕技術に改良を重ね「清涼育」を考案しました。版木は全て残っているそうです。

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「續養蚕新論」、養蚕建物は空気の循環が大切であることを証明しました。屋根の上に総やぐらを設けました。

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「顕微鏡」、田島弥平が仲間と共に明治12年ごろイタリアから持ち帰った日本で最も古い顕微鏡です。

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 順序が逆になりましたが案内所を先に訪れました。私一人でDVDを見たのは良いのですが田島さんと言うスタッフの説明に熱が入り1時間以上も説明を受けました。その後、田島弥平旧宅の向かいました。ここでも説明を受けその後、近くの養蚕農家の建物を見て歩きました。それぞれ今でも居住していますから内部には入れません。その後、再度田島弥平旧宅の戻り金井烏洲の墓を尋ねたらわざわざ案内してくれました。こちらの方も田島さんで田島家の墓も案内してくれました。結局こちらも1時間を越えてしまいすべてを見終わったのは2時間半もかかりました。

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この記事へのコメント

2019年11月14日 06:55
利根川の中州に有ったんでは何度か水が上がったのでしょう。
養蚕を立ち上げる為に色々苦労が有ったのでしょうね。
世界遺産登録された時に一度訪問しました。
人が多くて説明者も大変だったかと思いますが今は熱がこもって
二時間半とは驚きました。
2019年11月14日 07:49
おはようございます
説明される方も
手持無沙汰だったんでしょう
親切な説明で良かったですね
2019年11月14日 08:04
信徳さん、中州にあった島村が常に洪水の恐れがありました。そのため米も麦もほとんど取れませんでいた。しかし涼しい川風で桑が良く育ったのです。そのため養蚕が盛んだったのです。もちろん生糸も生産したのでしょうが蚕種づくりが盛んだったようです。
見学者は3,4人見かけましたが説明を受けたのは私一人でした。勝海舟、山岡鉄舟、西郷隆盛、大久保利通、宮澤喜一、福田武夫、渋沢栄一、田島一族、金井烏洲一族など様々な人名が次々に飛び出し聞く方も大変でした。
2019年11月14日 08:09
すーちんさん、おはようございます
平日で見学者が少なかったのでカモがやって来たと思ったのかもしれませんね。私が適当に相槌を打ち質問をしたので説明に熱が入りました。皆さん熱心で親切でした。
2019年11月14日 14:45
いずれも大きな養蚕農家の建物ですね。説明役の人も田島さんですか。もしかすると田島弥平の末裔?
父方の本家も大きな家で、2階で養蚕をしていたとのことでした。祖父の葬儀の際、2階に登らせてもらった記憶がありますが、屋根に換気用の窓はついていなかったと思います。
2019年11月14日 15:29
長さん、ご覧のようにこの辺りには大きな家がたくさんあります。それぞれご近所と言えるほど近いです。しかもどの家も田島家です。ですからそれぞれ屋号が付いています。
案内所で説明してくれた田島さんははっきりしませんが東郷平八郎が遊びに来たとか田島家の内情にも大変詳しかったです。後半の田島さんは間違いなく田島家の一族です。お墓が本家と隣り合った特別な墓でした。
なお「養蚕新論」の序文の推薦の言葉は西郷隆盛のものです。