楽老

アクセスカウンタ

zoom RSS 鎌原観音堂

<<   作成日時 : 2018/07/09 05:46   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 24 / トラックバック 0 / コメント 6

 ウチョウラン展を見た後は近接の鎌原観音堂に向かいました。ウチョウラン展で一緒になった上田市から来たと言う男性を案内しました。私はこれまでも何回か訪れたところです。

 「観音堂前の石段」、現在は15段ほどしかありません。120〜150段あったと言われていましたが発掘調査の結果50段だったことが分かりました。橋の下にも一部石段があります。この辺りで堆積した土砂は5mに達します。
画像


 「鎌原観音堂」、創建は大同元年(806)と伝えられています。天明3年8月5日の浅間山の大噴火の時に人口570人中観音堂の石段を駆け上がった者とたまたま村外にいた93名だけだ生き残りました。
画像


 「十一面観音菩薩」、厄除け観音として村人から厚く信仰されています。
画像


 「地蔵堂」、標識は水子地蔵と読めます。一番右の文字は梵字で「カ」すなわち地蔵菩薩です。
画像


 「復元された当時の民家」
画像


 「石仏群」
画像


 「石段下で見つかった二遺体の写真」、二人とも女性です。一人は背負われていました。ここまでたどり着きながら力尽き階段を上ることが出来ず犠牲になったものでしょう。
画像


 「二百年忌供養聖観音」、毎年、8月5日に境内に置いて浅間山噴火大和讃が唱えられます。
画像

  
 天明三年の被害は鎌原村全戸118戸、死馬165頭、死者477人でした。この大災害から鎌原村がいかに復興したかが興味あります。近隣の有力百姓、大笹村の名主黒岩長左衛門、千俣村の千川小兵衛、大戸村の加部安佐衛門が援助しました。村に2棟の小屋を建て村の再興を図りました。3人は夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせ93人を一族として纏め直しました。また新しい土地を平等に与え近隣の村人も農機具などを提供して復興を援助したと言われます。幕府も即座に食料代を与え、工事費を幕府が負担する御救普請を開始しました。幕府は金850両を負担しました。

 「ヤマアジサイ」、関東に自生するヤマアジサイはほとんどこれです。
画像


 「ヤマアジサイ」、クレナイだと思います。ヤマアジサイ東日本型です。
画像


 「ヤマアジサイ」、藍姫でしょう。
画像


 「昼食を摂った食堂」、客は私一人だけでした。
画像


 「ざるうどん」、私はうどん党です。
画像


 「嬬恋郷土資料館」、鎌原観音堂に隣接しています。浅間山大噴火の資料がたくさん展示されていますが館内は撮影禁止です。観覧料は300円です。
画像


 「延命寺跡」、昭和55年の発掘調査のより伽藍配置が明らかになり不動明王像、弁財天像、獅子付銅製香炉などが発見され郷土資料館に展示されています。
画像


 「延命寺跡」、林の中に仏塔が一つあるだけです。
画像


 日本のポンペイとも言われる鎌原村の復興計画で特筆すべきはその早さです。災害が発生した翌9月に始まり天明4年1月までには11軒を新築しました。また村人も総動員して田畑29町歩の再開発と総延長7800mの道づくりを完成させ終了しました。あの天明の大飢饉に住民は飢えることも寒さに凍えることも無かったと言われています。
 日本は災害列島です。最近は地震や水害が頻発しています。気になるのは復興の遅さです。仮設住宅に何年も住み続けなければならないのは何とかならないのでしょうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 24
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
有史以来噴火を続け今でも煙を上げて何時大爆発が起こるか分からない浅間山。
天明の大爆発は90日にも及びこの中の大爆発で鎌原地区は火砕流・岩屑なだれが発生し被災したようですね。日本は火山・地震立国、いつ起こっても不思議では有りません。台風、豪雨でも脆い日本、北朝鮮などの騙されて何兆円も取られたり。無駄な大学作ったり援助したりするよりは復興の為に回した方が良いのではないか、そんな事を思います。
信徳
2018/07/09 06:12
信徳さん、この時の浅間山の噴煙は高く上空に舞い上がり地球は1周したと言われています。そのため日照不足になりコメの不作を招き日本史上最悪の天明の大飢饉の要因になったとも言われています。
日本の復興計画は災害に強い防災計画を優先します。そのために復興に長い時間が掛かります。前もって災害に強いまちづくりができれば良いのですが地権が入り組んでうまくは行きません。昔は決して家を建てなかったと言われる扇状地や崖下にも今はどんどん家が建ちます。林業の衰退で山は荒れ崩れやすくなっています。それに最近の異常気象が加わり災害が発生しやすくなっています。もう少し人智を結集できないものかと思います。
楽老
2018/07/09 06:46
お早うございます
災害を防ぐ根本的な
方法が無いんでしょうか
と思ってしまいます
すーちん
2018/07/09 07:03
すーちんさん、おはようございます
自然の前に人間は弱いものです。しかし人間はその弱さを自覚して自然と調和して生きてきたのです。自然を征服できると思うのは人間の傲慢です。
楽老
2018/07/09 07:36
浅間山大噴火の際、鎌原観音堂は名実ともに守り神(守り仏というべきか)になったのですね。日本のポンペイとありましたが、母子の遺体はポンペイを思い起こさせます。
災害の際の政府の援助は重要ですが、現状では不十分すぎますよね。
長さん
2018/07/09 10:18
長さん、この時の土石流は鎌原村だけでなく吾妻川、利根川を経て東京湾にまで達しました。流域の災害に寄る死者は1624人、流失家屋1151戸、犠牲者の遺体は東京湾まで流されたものもあったそうです。
当時の人たちは多くの財産を持たず家も簡素で身軽に暮らしていました。従って復興も速やかでした。今の日本人は多くの財産に囲まれて生活しているので復興も大変です。国の支援もあまりあてに出来なくなっているようです。
楽老
2018/07/09 10:55

コメントする help

ニックネーム
本 文
鎌原観音堂 楽老/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる