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zoom RSS 鎌原城址

<<   作成日時 : 2018/07/10 05:46   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 26 / トラックバック 0 / コメント 6

 嬬恋郷土資料館を見学時に鎌原城址のパンフレットがあるのに気づき城好きな私としてはこれは見に行こうと思いました。資料館からは1.5qほどのところです。鎌原氏は滋野源氏、海野氏の一族で下屋氏の末裔とされています。天和元年の沼田藩改易後は大笹関所の関守となり明治元年の廃関まで8代187年間関番を勤めました。

 「三の丸の駐車場の案内」、この駐車場に車を止めて歩いて本丸に向かいます。
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 「二の丸の堀切」、二の丸と三の丸を仕切る堀切です。深さはおよそ5mです。
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 「本丸」、二の丸の北にあります。二の丸との堀切があるはずですが埋められたのか確認できません。3方向に崖があります。この先に笹郭があります。
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 「本丸の案内板」、築城は応永4(1397)年です。元和元(1615)年の廃城まで218年間鎌原氏の居城でした。
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 「本丸の標識」、鎌原城は南北400m、幅150m、本丸、二の丸、三の丸、東曲輪、笹郭の五郭で梯郭式平城です。武田信玄吾妻侵攻の橋頭堡となったところです。
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 「キャベツ畑」、三の丸は大半が畑になっています。
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 「花マメ」、キャベツも花豆も嬬恋の名産です。
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 「三の丸追手門口」、三の丸は最も大きな廓で桝形門があったと思われますが全く分かりません。
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 「鎌原氏墓所」、駐車場手前の林の中です。鎌原氏の家紋は真田氏と同じ六文銭です。
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 「歴代の墓標」、天正3(1575)年、長篠の合戦で当時の当主鎌原重澄は真田信綱・昌輝などと共に戦死しました。この敗戦以来「名前の分かる墓を建ててはいけない」という言い伝えがあり土饅頭の墓しかありませんでしが平成5(1993)年に歴代の鎌原家当主の名を刻んだ墓が建てられました。
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 「観音像」
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 「地蔵像」
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 「頼朝廟」、先祖が頼朝の時に鎌倉に勤めていたと言われます。
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 「ホタルブクロ」、近くで咲いていました。
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 鎌原城址見学中は周囲に全く人影はなく私一人でした。鎌倉幕府、上杉氏、武田氏、徳川幕府と主を変えて生き抜き一度は羽尾氏に城を奪われても取り戻し一所懸命だった鎌原氏に思いを馳せました。軽井沢植物園に寄ろうかと思ったのですが中軽井沢で考えを変えて18号経由で帰宅しました。帰宅時間は午後4時過ぎでした。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
浅間山の見えるキャベツ畑と言うと平な場所の様に思えるのですが山城の一つなんでしょうか?
築城が天明の爆発以降ですから溶岩の流れた荒地に造ったのでしょうね。
滋野、海野と言えば長野県の東御市にある地名ですから信州からこれらの人が浅間山を越えてきて築城したのでしょう。昔のロマンが蘇って来ます。
信徳
2018/07/10 06:09
信徳さん、鎌原城は山城ではなく台地上にある平城です。城の築城は応永4(1397)年で元和元(1615)年の廃城ですから天明3(1783)年にはすでに一国一城令により廃城になっています。
仰る通り鎌原家は長野の海野から移り住みました。海野小太郎幸明の孫が幸盛で幸盛の孫の幸兼が鎌原郷に移り住みました。幸兼の長男重友が初めて鎌原太郎と名乗り鎌原の祖となりました。
楽老
2018/07/10 06:49
お早うございます
城址も私有地だと
平地だと利用したくな
るでしょうね
すーちん
2018/07/10 07:22
すーちんさん、おはようございます
群馬には800カ所以上の城址があります。ほとんどは民有地です。しかもここは平の土地ですから畑作には適しています。二の丸と本丸だけでも保存されているので良しとしましょう。
楽老
2018/07/10 07:50
鎌原氏も清和源氏がルーツのようですね。私の母は浅利性で清和源氏の流れをくむ名字だそうです。鎌原城とは何も関係ありませんでしたね。失礼しました。
長さん
2018/07/10 10:52
長さん、滋野氏は確かに清和天皇の血筋ですが実際はもっと古くさかのぼることが出来ます。その子孫の鎌原氏も源氏の系統を名乗ったのだと思います。そのため源氏の系統の鎌倉幕府や徳川氏に仕えたのだと思います。ただ江戸時代の家系図は仕官のために作られたものも多いのであまり信用できません。
楽老
2018/07/10 12:29

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